大学を卒業して、表参道の会社で働いて、結婚して、夫の仕事の関係で米国(ロスアンゼルス)の駐在にお供して、帰国したらバブルの真っただ中で、どこもかしこも浮足立っていて、もうこれ以上遊べないというくらいDINKS(ディンクス)※を謳歌した後、バブルが崩壊し、長女を出産しました。令和で使われているDINKSは、お互いの価値観を尊重して子供を作らずに夫婦生活を行う生活観として使われているようですが、当時のDINKSはどちらかというと遊び人といったイメージが強かったかもしれません。(※DINKS:Double Income No Kidsの略。バブル期においては、共働きで子どもがいないので自由にやりたいことをやっているカップルのこと)
ロスから帰国後、実家のアパレル会社の経営陣として働きはじめました。バブル期は、物を作ればバンバン売れて、得意先の方と一緒にゴルフをラウンドしたら2000万の発注を頂くなんてこともありました。ゴルフは、ロス駐在時に駐在員の奥様方と毎日のようにカートを引っ張ってラウンドしていました。当時のラウンドフィーは5~8ドル(日本では2万円くらだった)でした。長女を出産してからは、まったくやっていませんが、そろそろ再デビューしようかなと考えています。
出産前までは、仕事も遊びもどちらも思いっきりやってきた私ですが、子育てはまったくの別物でした。何が大変って自分が想像した通りにことが進まないというところです。そんなことは当たり前で、今なら理解できますが、その時はいっぱいいっぱいで、いつもイライラしていました。仕事をしていなければ、もう少しゆとりを持てたかもしれませんが、バブル崩壊後は、取引先が倒産したり、メインブランドが相次いで撤退したりと、会社が窮地に立たされてしまったこともあり、育児休暇などをとっている暇もなくすぐに仕事に復帰していました。
仕事も大変、育児も大変、睡眠時間を削りながら、髪を振り乱し、泣きながら奮闘していた時期もありました。夫も仕事が大変だった時期で体を壊してしまったりなどのアクシデントがありました。DINKS時代のバチが当たったのかと思ったこともありました。(笑)
このとき本当に助けられたのが、義母や母の協力でした。今は2人とも他界していませんが、感謝の気持ちは今でも持っています。特に義母は「これからは女性の時代が来るから、ママはやりたいことをやって活躍しなさい。その分私が子どもの面倒を見るから」といってくれたことは、今でもずっと私の心の中に残っています。どんな苦しいことがあってもなんとか乗り切ってこれたのは、その言葉があったからだと思います。
これは、アクティブブレインズを起業する前のことでしたが、この義母と母のサポートは起業してからもずーっと続いていました。
追記:写真は長女が1歳の時に千葉市動物公園に行った時のもの。経年変化が激しすぎて自分でも驚く今日この頃(トホホ)