上記の画像は、会社設立後に作成したアクティブブレインズ初の会社案内です。懐かしい~
国プロの事業に応募するために、屋号「PCママ」ではなく会社を設立する必要が突然やってきました。会社設立にはいろいろ書類が必要で、知識がないと自分でやるのは難しいと言われていました。今のようにインターネットでなんでも手軽に調べられる時代ではなかったので、プロの行政書士にお願いしようと考えました。当時千葉県庁の近くにたくさん軒を連ねていた行政書士の事務所の中で、比較的きれいそうな、外から中が見える事務所に入ってみました。親切そうなおじさんが、30代の希望に胸膨らませた私の相談にのってくれるはずが・・・。
私 「会社を作りたいのですが、相談にのっていただくことはできますか?」
行政書士「会社は誰がつくるのですか?」
私 「私です!」とちょっとドヤ顔で返答
行政書士 「えっ、あなた?」
私 「はい、私です!」さらにドヤ顔で
行政書士「あ~、あなた女なんだからやめといたほうがいいですよ。バブル崩壊後、会社経営って本当に大変だから、女性にはきついでしょう。悪いこと言わないから・・・」
まさかの相手の反応に驚きすぎて、その後何を言ったのか覚えていませんが、行政書士に頼むのはやめようと心に決めたことは間違いありません。
1998年、まだそんな時代だったなぁ。「女なんだから」とか「女のくせに」とかよく言われました。平成になっていたのにね。まぁ、そんなこといちいち気にしてもいられないので、「ならば自分で全部やったるわっ!」とすぐに実行に移していきました。その後、有限会社を株式会社に組織変更するときも自分で行ったので、かなり根に持っていたのだと思います。(笑)
1998年当時、有限会社を設立するには300万の資本金が必要で、株式会社では1000万が必要でした。手持ち資金は300万円しかなかったので、取り合えず有限会社を設立するための準備を始めました。
まずは、なんといっても会社名を決めないとです。
「PCママ」の屋号で活動しているときに何とかしなくてはと思っていたことは、発表では自分の出番が最後の方になってしまうこと、社名が配布物では下の方か次ページに掲載されてしまうといったことでした。何とか上の方に表示されて目立つようにすることはできないか。
「そうそう、”あ”で始まる社名にすればいいんだよね」と思いつきました。それからあれこれイメージを膨らませアイデアを出して、考えたのが現在の社名である『アクティブブレインズ』です。「アクティブな頭脳集団」を目指して名付けました。この名づけは大成功でした。我ながらアッパレ!印刷物や表示でもなんでも、一番上か上部に表示されるようになりました。会社紹介や意見を述べるときにも「では、アクティブさんからお願いします」と言われるようになりました!
会社名が決まったら、同じ地域に同業で同一の会社名がないか法務局に確認に行きました。
その次に、どのような事業を生業としていくのかを決める「定款」づくりを行いました。半年前に起業した知り合いを訪ね、定款を見せていただきました。「同じような業種だからそのまま使ってもいいよ」と有難いお言葉をいただきましたが、そのままは使えないのでパソコン教室の運営や教材テキスト開発・販売などを追加しました。設立に必要な書式は、本屋さんでテンプレート書式を購入しました。
約1か月の短期間で有限会社を設立することができました。
その後、
「会社経営って本当に大変だから・・・」という行政書士さんの言葉が、親切心から言ってくれたのだと理解する日はそう遠くありませんでした。